古いアルバムを開けてみた。
超ワタクシ事だけど、30歳になりました。
ま、そりゃなるわな。みんな。
時間はみんなに平等です。
30年前の今日も雨が降ってたそうだ。
30年前の今日は風も強く、雷も鳴ったそうだ。
春の嵐だと親は言い、危うく「雷太」って名前になりかけたらしい。
竜雷太的な感じで。アブネ。
でもその中から「ライタ」って語呂が残り、「タイラ」になったらしい。
そしてつけられた漢字が「太頼」だ。
太く人から頼られるような、そんな男になって欲しいと最終的には祖母がつけてくれた名前らしい。
子供の頃なんとなく響きが嫌だった時期もあった。
でも今では自慢の名前だ。
あだ名を付けられた事もないし、変わった字だから人にも覚えてもらいやすいらしい。
まあ一発でまともに読まれた事も一度もないが。
「フトヨリ」とか「タヨリ」とか挙句の果てには「タライ」「タイライ」。
極まると「頼」にサンズイをつけて「瀬」になっちゃったりして、「タイセ」なんつーのまであった。
「登坂 太瀬」
「これ苗字二人分じゃない」
ってバカ。
どっちが苗字だかわかったもんじゃねえやな。
「登坂」もなかなか読まれずな感じで、「トサカ」なところを「ノボリザカ」さんとかって呼ばれる事しばしば。
しかも昔に病院でその看護婦はコトもあろうに「坂」と「板」まで間違ってくれちゃって、
「ノボリイタさ~ん。ノボリイタタイライさ~ん」
随分変わった名前だな・・・・・なんつって・・・・俺かい
流石に遠いわ
なんか「イタタイ」感じだし、「イタタイライ」な感じで「マオペンライ」な感じだよバカヤロウ。
みんなこっち見てるわ
鼻水たらしたガキはアタマにハテナマークだし、マスク付けたジイサンは横でくしゃみしてるわ
とかってよく今だに間違えられますわ。
そうそう。まあいいや名前の話しわ。もう。
俺は酷い難産だったらしく、母親の生命を危険にさらしながら生まれてきたらしい。
母親とはそんなもんだと言ってしまえば、そうなのかもしれない。
でも俺は男で、子供を生む気持ちは一生想像することしか出来ない。
キツかったんだろうな。
そして愛情に満たして俺を育ててくれた。
今日は母親に最高の「ありがとう」を言う事にする。
誕生日は俺にとってそんな日。
一時期は本当に苦労をかけてたと思う。まあ今でもか。
ずっと幸せでいてくれ。オフクロ。
ありがとう。
30年前の母親は俺には遺伝しなかったボサボサの天然パーマで俺を抱いて笑っている。
その写真の彼女は強くて美しかった。この時彼女は今日の俺と同い年だった。
ふと顔を上げて窓の外を見る。
雨を通して、風景を通して時間が繋がって感じた気がした。
雨のニオイ。きっと外は同じようなニオイがしたんだろう。
同じような温度で同じような湿度で。
「親父。この時どう思ってたんだよアンタ。」
なんて問いかけるのはやめてビールを一口もらう。
5歳だった兄貴の姿も見えるようだ。
雨はまだ降っている。
そうだ。9月にみんなで沖縄に旅行に行こう。
古いアルバムを閉じて大事にしまった。
この文章を書きながら今までの色々な出来事や時間の流れに複雑にココロを締めつけられた。
現在を生きてるものと、これから生まれゆくもの、そして過去に死んでしまったものと、あと少しで死にゆくもの。
生きることを拒絶したもの。
老いて誰にも気づかれずに尽きるもの。生まれ出る事のなかった名前のないもの。
今日の雨は少し優しく、傷口に沁みる。
ちょっと今日は感じ過ぎたかな。一口含んだビールのせいか。
まあ、もう寝ることにするわ。
おやすみ。
まだ雨の音は静かに内側に聞こえてくる気がした。
なんちって。
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